いつかみたあの場所

人間の脳内イメージというのはなかなかおもいしろいもんですね。ていうか、"人間の"というのは正確ではなくて、他人の脳内を覗けない以上、"自分の"ということになるんですけどね。
例えば小説を読んでるとき。小説というのは舞台となってる情景を文章で表現してあるわけですが、それを読みながら自分の脳内でその情景をイメージするもんだと思うんですよ。もしかしたら、映像的なものはイメージしませんという人もいるかもしれないですが。まあ、僕はなんとなく映像的なものを頭にうかべながら読んでいる気がします。この作業はほとんど無意識というか無自覚におこなわれているもので、文章を読みながら意識的な努力をすることなく、頭の中に映像がうかんできます。
この小説を読みながら頭の中に浮かんでくる景色を、よくよく注視してみるとけっこうおもしろいです。小説に記述にあうように思い浮かべたイメージが、過去に自分がよく知っている場所の記憶を少しアレンジした情景だったりするんですよね。例えば、小説の中で怪しげな雑貨屋が舞台になっているとすると、自分が思い描いている情景は、小学生のときによくかよっていた駄菓子屋のうすぐらい店内を、すこしアレンジしたものだったりするんですね。小説読みながら、ふと自分の脳内イメージに意識を向けて注視してみると、実はこれ小学生のときの駄菓子屋じゃん、と気づく感じでしょうか。
小説読むときだけではなくて、知らない場所をイメージするときには、だいたいは半ば無自覚のうちに記憶の中の近い情景をもってきて、それを少しアレンジしている気がします。夢なんかもそういうことが多いですね。ものすごく現実ばなれした荒唐無稽な夢なんですけど、目が覚めてからその舞台を吟味してみると、むかし通ってた中学校の校舎をアレンジしたものであることに気づいたりね。
ところが中にはどうも過去の記憶ではないっぽい、由来のよくわからないイメージもあるんですよ。景色なんですけど、昔からたまに頭の中にうかんでくるんですね。夜、ふとんの中で眠りに落ちようかというときに、頭の中にうかんできたりするわけです、あ、またこのイメージかと。あきらかに自分が過去に実際に直接見た景色ではない。かといって、テレビや映画なんかの映像とも思えない。不思議とはっきりしたイメージなんですよね。


さて、このあいだちょっとした用事でとある地方都市を訪れました。初めての場所だったので、ちょっと景色でも楽しもうかと各駅停車の電車に乗ってみたりしたんですが、景色を楽しもうとか思ったわりに、ついついうつらうつらと居眠りをしてしまったんですね。夢うつつ状態で頭に浮かんできたのは、例の由来のよくわからない情景。ふと目がさめて、ああまたあの脳内イメージかと思いつつ、車窓から外を見ると、少し遠くに見える小さな山の形が妙にひっかかる。見覚えがある。そうです、いましがた見ていた脳内イメージにでてくる山と似ているような気がするわけです。
気づけば次の駅で電車を降りてました。駅前でタクシーをつかまえて、とりあえずあの山の近くまでいってくれと。なんというか、まだ夢を見ているかのような、ふわふわした心境で、まあ常軌を逸した行動ではあるんですが、そのときは自覚はまったくありませんでした。
山のまわりは田んぼや畑の中に人家がまばらにあるような、まあよくある田舎の風景です。ただ、どこか懐かしいような、見覚えがあるような感覚がありました。タクシーを降りて山に向かって歩きはじめました。まるで行くべき方向を知っているかのように、足が勝手に歩いているかのような感覚で、三十分ほど歩いたころ、それがありました。
山の中腹あたり、すこし開けた草むらの広場。広さは野球のグラウンドの内野ぐらいでしょうか。その真ん中に鳥居が立っていました。異様なのはその二本の柱部分なんですが、通常の鳥居のは石できていたり、木の場合もきれいにな円柱の木材が使われているのですが、この鳥居は大木を生えていたままもってきて鳥居の柱にしたような感じなんですね。ねじくれて苔むした大木が二本の柱となり、その間に横に気をわたして、鳥居を形成しているわけで、こんな鳥居はもちろん以前に直接はもちろん、写真や映像でも見たことはないわけです。そう、僕のよく見る由来のよくわからない脳内イメージの中で見たことを除けば。
どれくらいの時間かはよくわからないですが、僕はその鳥居の前で立ちつくしていました。ふと気づくと老婆が僕の目の前に立っていました。老婆は目を見開き僕の顔を凝視していました。ありえないことがおこったかのような驚愕の表情を浮かべて。あるいは長年待ち続け、ついにはあきらめかけていた奇跡が今まさに起こったことを認識したかのような表情で。老婆が口を開き僕に語りかけました。感極まった声で。
「偉大なるダークマスターよ。復活をお待ちしておりましたっ。」
意外な老婆の言葉におどろく僕。しかし、意識とはうらはらに、その口からは自分のものとも思えぬ声が発せられたのでした。
「大儀である。おばばにも苦労をかけたな。ついにワシの封印もとかれた。いまこそ、この世にふたたびダークエンパイアーをうちたてるときがきたのじゃ。」
こうして、己が本当は何者なのかに気付いた僕は、あらたな人生の目標にむかって邁進しはじめたのでした。


まあちょっと話を盛ってしまいました。というか、地方都市を訪れたくだりから全部嘘です、言うまでもないでしょうが。しかし、まあ自分の脳内の由来のよくわからない情景って実は前世の記憶なんじゃね?的なことを一瞬考えたことがあったとしても、誰が僕を責めることができようか?いやできはしまい。反語法。
遠藤周作先生の、ちょっとスピリチュアル的というか不思議なお話を集めた短編集があって、けっこう好きでした。前世の記憶的なものをネタにしたお話もあった気がする。

その夜のコニャック (遠藤周作 小説の館)

その夜のコニャック (遠藤周作 小説の館)

引越しの際にほとんど本を処分してしまったので手元にないけど、これだった気がします。



いまいち由来のわからない脳内イメージって、なんか楽しいよね!というお話でした。