ノーズ評論家

人体の特定のパーツが特に気になるということがあると思います。例えば、女性の胸が気になるという男子は多いことでしょう。僕も、インドのヨガの哲人曰く「おっぱいは、むきだしではなく、何かにつつまれてこそじゃ」「なるほど!真理でございます!」、というコント形式の夢を、ついこの間見たくらいに、おっぱいが嫌いではありません。
しかし、人体で一番気になるパーツといわれると、それはおっぱいではありません。それは「鼻」です。特に女性の鼻というわけではなくて、男女問わずに、人を見るとまず鼻が気になります。おっぱいと違い、性的な含意があるわけではないので、フェティシズムではないんですよね。さらに魅力を感じているのかというと、そうでもなくて、もともとは嫌いだったんではないかと思います。
自分が異様に鼻に執着してるのに気づいたのは、最近(といってもここ10年くらいの間ですかね)なんですが、映画なんかで俳優の顔がアップになってるときに、ものすごく鼻を凝視してることに気づいたんですね。で、思い起こしてみると、無自覚ではあったけどずっと鼻に執着していたなと気づいたのです。たぶん小学生になる前、ものごころついたころには鼻に引き付けられていた気がします。

羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)

たぶん、もともとは鼻に対してネガティブな感情をもっていたような気がするんですよ。子供のころのことなんではっきりとはわからないんですけどね。「なんで、こんなに不細工で汚らしい器官が、顔の真ん中についているんだろう?」って感覚ですかね。そういう気持ちがずっと意識の底の方にあって、鼻に執着しつづけてきたのが、もともとのネガティブな感情は変化して微妙に好きも含んだ感情になったというか。
芥川龍之介の小説で、特殊な形状の鼻を気にする坊さんの話がありますけど、僕の場合は自分の鼻が特殊だから他人の鼻が気になるというのではないです。あまり自分の鼻のことは気にならないです。まあ、思春期で自分の外見とか気になりだしたころに、一番気になったのは鼻だったという記憶はありますけど、まあわりと平凡な形状だと思います。
まだ、鼻に対する自分の執着に対して無自覚だったころ、人気のアイドルや女優が、かわいいとか美人とか評されるのに納得いかないことが良くあったんですよ。自分の美的感覚が世間の平均からずれてるのかなあとか思ってたわけなんですが、そのときの僕の感情は、「なんでこの娘がかわいいといわれてるのか?この鼻だよ?この鼻はかわいくないでしょう。」というものだったんですね。今、考えてみると、世間の平均的感覚としては、そこまで鼻を重視していない、というだけのことだったんですけど、鼻の魔力にとらわれていたので気づきませんでした。自分が鼻を重視しすぎているという自覚がある現在では、例え鼻が気に入らなくても、全体の印象を見てかわいさを理解できるようになりました。成長した。
アニメや漫画では、鼻はあまりリアルに書かれないことが多いですね。特にアニメは。もしかしたら僕がアニメや漫画が好きなのは、その故かもしれない。いや、さすがにそこまでではないですかね。ただ、アニメや漫画でも鼻の描写はすごく気になります。特にリアルに表現されていて、それが適当だとめっちゃ腹立つというか、ストレスを感じます。最近のアニメだと「偽物語」で、鼻の穴描写がけっこうアニメの平均的な表現を超えて詳細に表現されることが多かったんですが、作画の質がいいときには我慢できるんですが、ちょっと乱れたらものすごくストレスを感じてましたね。まあ、とりとめもない話でした。そういえば美しい手を持った、手専用のモデルというのがいるらしいですが、美鼻モデルというものはいるんだろうか。まあ、「美しい鼻」とはどういうものかというのを語り出したら、テーマが深遠すぎてブログではとうてい書ききれないな。子供のときは、とにかく西洋人の鼻のような、高くて細くてとがっている鼻が良いと思っていたんですが、長年の鼻観察を経て、今はある程度、鼻本来の”みっともなさ”を適度に含んだ造型がいいかなあと思いますね。まあどうでもいい話ですけど、そのうち有名人を対象にマイ・フェイバリット・ノーズ・ベスト10とか選出してみようかな。