宗教について2

高校一年生のころの僕の宗教観といえば、”無知蒙昧な愚民がおのれの弱さをまぎらわすためにすがる迷信”みたいな感じだったような気がします。もちろんここまではっきり言語化はしてないと思いますけどニュアンスとして。まあこういう感覚は、年若い人間にとっては多数派的感覚じゃないかなあと思うんですがどうだろう。
そんな多感な高校一年生のとき、社会科の授業で”歴史上の偉人をひとり選び、その人について調べてレポートにまとめなさい"という課題がでたんですよ。まあ、よくありそうな課題ですわな。クラスメイトはリンカーンとかニーチェとか無難な人物を選択してたんですが、なんというか僕としてはそういうガチ偉人はまともすぎてちょっと違うな、と。ネタ的に考えて。やはり先生の度肝を抜く…とまではいかないまでも、ちょっと”?”と思わせるような人物を選択したいなと、当時の僕は考えたのでした。かといって「吉田蛇吾郎?誰だコレ?」「僕のひいじいちゃんです。きゅうり作りの名人でした」みたいなところまで攻めることは思いつかなかったんですね。
考えた結果、僕は課題のテーマ偉人として”仏陀”を選択したのでした。いまから考えてみるとこれはネタとして成立しているのか?という疑問は感じますね。たしかに、意表はついてるのかな?アナクロニズムというか、そういうおもしろさはあるかもしれない。
まあ、当時の僕としては仏陀について調べて大真面目でレポートに仕上げるとけっこう笑えるものができるんじゃないかなと考えたのでした。
そういうわけで学校の図書室で仏陀についての本を物色して読んでみたんですが、たまたま手にとった一冊がけっこういい本でして。まあ原始仏教についてわかりやすくまとめた一般向けの入門書みたいな感じなんですけど、自分の仏教についてのイメージと全然違うことが書いてあって、ネタにするために読み始めたのに、けっこう真面目に読んでしまったのでした。残念ながらその本のタイトルは失念してしまったんですけどね。
とはいえ、その後敬虔な仏教徒になったというわけではなく、まあ、宗教全般に興味を持つきっかけになったわけです。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

あ。↑の本は僕が高校のとき読んだ本ではないですが、とりあえず何か貼らないとさみしいので貼ってみました。ちなみに、この本は持ってましたが、数年前に引越ししたときに他の本と一緒に処分してしまいました。
てなことを書きながら思ったんですが、仏教系の新興宗教にはまってる人がこの文章を読んだら、「ネタにしようとして真実に出会う。それこそが仏縁。」とか言われそうですね。(つづく)