続R.P.G

2011-06-25 - 蛇作日記+の続きで、映画「RPG」の感想です。

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さて。主人公は兄ちゃんの助けを借りて、邪悪なるケルトのシャーマンの陣地を襲撃して彼女を取り戻すことに成功します。襲撃といっても、安全なやわらかい剣にみたてた棒で殴って、「おまえ殴られたから死んだからな!」みたいなノリなんですけどね。まさにいい大人が真剣にごっこ遊びに興じるRPGランドであります。
彼女の方は、自分が力ずくで奪い返されるという展開に、ナルシシズムを刺激されたのか、さっきはまでの冷たい態度がいっぺんして、主人公といい雰囲気になっとります。そして、二人がちちくりあってるヴァイキングの陣地(遊園地のアトラクションみたいなつくりものの海賊船)へシャーマンのリーダーがやってきます。生贄であり愛人である姫を取り返すために。姿が見えなくなる魔法をつかって、ヴァイキング戦に侵入してくるのです。
この姿が見えなくなる魔法は、当然姿が見えなくなるわけではなくて、魔法を発動すると、テーブルトークRPGでいうゲームマスター的な役割のRPGランドのスタッフが、「この人は今姿が見えてませーん」とまわりの人にコールするわけです。まあ、客観的にみてものすごく間抜けなんですけど、愛人を奪われてマジギレしてるシャーマンのリーダーが、でもしかし自分達のゲームのルールはちゃんと守って、間抜けにヴァイキング船に侵入してくるというのがおもしろいです。
そしてシャーマンのリーダーは姫にもどってくるように要請するんですが、しかしながら、主人公と彼女(=姫)はもうリアルワールドの恋人のノリになってしまっていて、姿が消える魔法とか何それ状態なわけです。彼女なんか、真剣に姫にもどってくるように要請してるシャーマンのリーダー=顔面にドクロ模様の化粧を施した中二病をこじらせたハゲ親父を見て、チョーウケルンデスケドーみたいに失笑してるし。
そして、ゲームマスターに「姿が消える魔法の効果時間が切れます。後15秒であなたの魂は肉体に戻ります!」といわれて、ひきさがるシャーマンのリーダー。まじ凹みです。
シャーマンリーダーのおっさんの視点で考えれば、主人公に姫を奪われて、さらに姫に拒否されるというのは、単に女にふられるというだけではない屈辱なんですね。RPGランドでのシャーマンのリーダーというロールにのめりこみ、俺は大物だという感覚に満たされていたところに、冷や水をかけられたみたいな。RPGランドでのおまえは現実じゃない、現実でのおまえはとるに足らないただのハゲたおっさんだということを、突きつけられたわけです。RPGランドにリアルワールドの事情を持ち込んだ主人公と彼女によって。
まあ、事実なんですけど、素直にその事実をうけいれるには、シャーマンリーダーのおっさんはRPGランドに依存しすぎてたわけです。事実を認められないのなら、狂気に走るしかないわけです。ここで、シャーマンのおっさんが半泣きの放心状態で焚き火の前に座り、腕にまかれたRPGランドのタグ(プレイヤーの証)をはずして火に放りこみ、さらには自分の財布をはじめ荷物を燃やしだすんですね。RPGランドがつかのまのごっこ遊びであることを認めて現実に戻るのではなく、RPGランドでの自分を現実にするしかない!という狂気へ踏み込んでいく描写にみえて、なかなかこわいシーンです。究極の毒を食らわば皿までです。
そして、おっさんに共感した仲間とともにヴァイキングどもを、主人公と彼女を襲撃するわけです。今度は殴っても怪我しないおもちゃの武器ではなくて、本物の棍棒で。
つまりこの映画は、閉鎖空間において狂気におちてゆく人間を描いた映画だったんですね。いまいちいい例がおもいつきませんが、「蝿の王」とか、あるいは「es」って映画がありましたが、そういう系統の作品と言えるでしょうか。
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暴走したシャーマン軍団によって、楽しいRPGランドは阿鼻叫喚の暴力ランドに一変します。そして主人公は撲殺されちゃうんですね。さらに、自分のわがままからとりかえしのつかない事態になってしまったことにショックをうけた彼女は、投身自殺してしまうのでした。
そうそう。この文章では、主人公と書いてきたんですが、この殺された弟を本当に主人公といっていいのかどうかは実際には疑問があります。ていうか、この弟は常識人ではあるんですが、かならずしも主人公として視聴者の共感を得られるような描き方はされてない気がするんですよね。彼女についても同じことが言えます。実際のところ、僕の感覚では、弟は他人が好きでやってることに土足ではいってくるようなところが嫌なやつだなと観ながら思ってましたし。常識を疑うことのない、マジョリティの無自覚な傲慢さとでもいいましょうか、そういうところが嫌だなと。そして、彼女の方もいけすかねえ馬鹿女だなと、そういう描き方がされていた気がしますね。そんなわけで、弟と彼女が死んだときに、けっこうざまあみろ的なカタルシスを感じてしまいました。
というわけで、本当の主人公はダメ人間の兄ちゃんの方かもしれません。が、兄ちゃんは兄ちゃんでダメなんですよね。クライマックスのシャーマン達の暴動シーンでは、兄ちゃんは建物に閉じこもって安全第一の行動なんですよ。普段は、ヴァイキングの戦士は勇敢に戦う!とかいってたんですけどね。愛する弟が危機に瀕しているかもしれないのに、びびってしまってしゅんとなって建物に閉じこもってる兄ちゃんがいい味を出してます。高齢中二病患者を皮肉った映画ですね、これは。
さて、シャーマンの暴動はその後、山奥のマニアが集まるテーマパークで起こった死人もでた事故として調査されたんだと思います。直接的な描写はないんですが、シャーマンリーダーのおっさんは我にかえって、その後の取調べや、もしかしたら裁判において、うまく口からでまかせをしゃべって罰をうけることなく切り抜けた、ということのようです。
お兄ちゃんの方は、死んだ弟のかわりに認知症の父親の世話をしています。「あいつは今頃ヴァルハラにいるんだよ」などと父親に話したりして、中二病は治ってないようですが、RPGランドからリアルワールドに帰ってきて、前よりは真人間になったように見えます。一見は。実際は、兄ちゃんの中にも狂気の芽がすくすくと育っていたんですけどね。弟を殺しておきながら、罰されることなくのうのうとしている、シャーマンリーダーのおっさん許すまじという。肝心なときにびびってしまって、弟を助けられなかった。だから今度は俺の手で、弟の仇を討つ!みたいな。
そして、シャーマンリーダーのおっさんのリアルでの住所をみつけ出した兄ちゃんは、ハンマー片手に忍び込み…。と、いうラストシーンですね。RPGランドで生まれた狂気がリアルワールドにも漏れ出してきたよ!みたいな感じでしょうか。


変な映画ではあるけど、けっこう楽しめました。ただまあ、共感できるようなちゃんとした登場人物がほとんどでてこないので、爽快感みたいなのはない映画ですね。