眉毛ぼーん

ちょっとうっかりして眉毛を片方剃り落としてしまったんですよ。どういう風に”うっかり”したら眉毛を剃り落としてしまうのかはここではおいておくとして、とにかくやっちゃった。とりあえず片方剃り落とした状態で、同居している老母のところにいって「どう?」と聞いたら「変やな」と予想以上にローテンションなリアクションをされました。やはり”空手バカ一代”を読んだことも無いであろう母に「珍妙」とか「バカの顔だ」みたいなツッコミを期待するのは無理があったようです。
仕方ないので、自室にもどり鏡に向かい「片方の眉毛の無い人間の顔の、なんと珍妙なことよっ! フハハハハッ! バカの顔だっ!」と”空手バカ一代”の名台詞をうろおぼえでつぶやいた後、残ったもう一方の眉毛も剃り落としました。ほとんど狂人です。もちろん両方剃ったからといってなんら問題が解決するわけではありません。もう一度母親にみせにいったら「清原みたい」という感想をいただきました。あー。スキンヘッドだしね。

空手バカ一代(1) (講談社漫画文庫)

空手バカ一代(1) (講談社漫画文庫)

僕が眉毛を剃り落として、すぐに頭に浮かんだ”空手バカ一代”。極真空手創始者大山倍達の半生を描いた、梶原一騎原作の名作漫画です。空手修行のために山ごもりした主人公が、孤独に耐えかね人恋しくなって修行を中断しようとする自分をいさめるために、片方の眉毛を剃り落とし、里におりるのを断念するという名シーンがすぐに頭にうかんだんですね。このシーンをはじめて読んだときって、空手修行にかける狂気ぎりぎりの鬼気せまる執念のようなものを感じたものです。
が、今自分が片眉を落とした状態で冷静に考えてみると、片方の眉毛を剃り落とした珍妙な顔では恥ずかしくて人里に降りられないというロジックなわけですよね。要は世間体なわけで、昔は今より変わったファッションに対する世間の目は冷たかったかもしれないけど、そんなたいしたことでもないんじゃね?と。うーん。つまり「空手道への情熱 < 人恋しさ」だけど「人恋しさ < 世間体」なわでで、推移律を適用すると「空手道への情熱 < 世間体」になります。マスオーヤマの空手道への情熱は、たかが自分の容姿が他人にどう見られているか気になるという不安に負ける程度のものだったのかよ!?という考えに思い至ってしまいました。
やっぱりそれはおかしいよな、と思ってしばらく考えてみたんですが、つまりはこういうことですかね。

”人恋しさ”と”空手道への情熱”がぎりぎりで拮抗していて、ちょっとだけ”人恋しさ”が勝っていた状態に、”眉毛はずかしい”を”空手道への情熱”に上乗せすることによって、トータルで”人恋しさ”を凌駕したということですね。うん。
僕は眉毛がある程度生えるまで、外出は控えようと思います。


ちなみに、”空手バカ一代”(つのだじろう作画パート)は僕が小学生のころにのめりこんで立ち読みし、恐怖のために読後立ち上がれなかったトラウマ漫画ベスト3のうちの一作です。それ立ち読みじゃなくて座り読みじゃね、というツッコミは当然あるものとして、マスオーヤマがフランスの地下プロレスでロシア人のチャンピオンと戦うエピソードがめっちゃ怖かったですねえ。勝負の後、マスオーヤマの自由とひきかえに、一生地下プロレスで戦うロシア人の未来を思うと、奈落の底を覗き込むような恐怖を感じたものでした。
どうでもいいですが、トラウマ漫画ベスト3の他の2作品は”はだしのゲン”と平松伸二先生の”リッキー台風”です。