human rights

中学生のころ、社会科か、あるいは道徳の時間だったかで、基本的人権について学習する授業がありました。基本的人権についてなんらかの話を聞いたあとに、生徒全員が基本的人権について考えた作文を提出するという内容でした。まあ基本的には「基本的人権は大切だと思いました!」という基調にそって書くのが無難であるのはわかっていたんですが、当時若干の中二病を発病していた僕は「基本的人権という考え方は嫌いだ」という書き出しで人権批判の作文を提出した覚えがあります。
正確な内容は覚えてないんですが、稚拙な文章力のせいでたぶん言いたいことは伝わらず、先生はたただだびっくりして苦笑したんじゃないかと思います。
何が言いたかったかということは覚えています。「人権というの人間同士がなるべく争わずに生きていけるように、人間の間の問題を調停する目的で、人間によって考えられた仮想の概念である。しかるに、あたかもそれが人間によって考えられたのではなくて、もとからそこにあるかのように言われているように思う。神に与えられたかのように。これでは信仰であって、錯誤である。社会の根幹がこのような信仰にささえられているのは不健全ではなかろうか?」てな感じでしょうか。
もちろん当時は知りませんでしたが、天賦人権説をディスっとるわけですね。まあしかしながら仮説と事実は明確に区別されるべきという中学生らしい潔癖さは我がことながら好ましいなと思います。ただ、もしヤング自分に忠告できるなら、人間はそんなに高級な動物じゃないよと教えてあげたい。仮説と事実を明確に区別する(=一切の信仰を否定する)というの実際には至難の技であり、そのような理想を追求しても結果は悲惨である。それよりは、何か相対的にましなものを信仰した方がよい。もちろん本当は嘘だとわかっていても、みんなで信じてるふりをする方がとりあえずはいいんだ、と。汚いよな、大人はよ。
で、中学生ではない現在の僕が思うに、人類が社会を運営していくために発明してきた数多のギミック、組織宗教、王侯貴族、愛国心、等々あるわけですが、その中では人権思想(それと表裏一体の民主主義)はなんだかんだいって一番ましなものじゃないかと思うわけです。


なんで、こんなことを思い出して書いているかというと、ツイッター自民党憲法改正案について話題になってんのを見たからです。まあ、仮に自民党が選挙で与党に帰り咲いたとしても、過半数には達せず、ごちゃごちゃの連立政権になるだろうし、すぐにこの案のとおりに憲法が改正されるというわけではないんだろうけども、これはひどいんじゃないかと。それこそ安倍晋三の信仰がにじみでていて気持ち悪いわ。ナチスドイツかスターウォーズ エピソード3かと。

まあ、それだけです。


ちなみに、昔は軍隊を禁じる憲法と、現実に存在する軍隊としかいいようのない自衛隊との間の矛盾を解消するために、これはもう現実の自衛隊にあわせる形で憲法を改正するしかないんじゃないかと思ってました。これも観念的な潔癖症ですね。でも、もし例の事件がなかったら田母神閣下みたいな人が統合幕僚長になってたんだと思うと、組織としての自衛隊になんらかの問題があるような気がしてきて、憲法はこのまま、矛盾したままでもいいんではないかと思っています。汚いよな、大人はよ。