たまこまーけっと

京都アニメーションの新作「たまこまーけっと」の第一話を観たんですよ。

毎シーズン、放送される新作アニメってけっこう多くて当然全部は観れない、というか僕の場合は2、3作品しか観れないので、レコーダーをアニメの新放送第一話をすべて録画するという設定にしておいて、その中からおもしろそうな奴を選らんで継続視聴するというやり方をしてます。で、そういう感じで録画されてた「たまこまーけっと」を京アニの新作と知らずに冒頭部分を観てて、「クオリティ高いなあ。けど、すげーけいおん!ぽい絵面だなあ。けいおん!ヒットしてからこういう感じの絵柄が増えたよなあ。」とか思ってたら、もろに山田、堀口けいおん!コンビの本家本元の作品だったよ!と、言う…。
これ、けいおん!スタッフによるオリジナル作品なんですね。なんか、グーグーガンモみたいな変な鳥型のしゃべる生命体が、商店街の餅屋の女の子のところに居候して、奇天烈な騒動を巻き起こす!みたいなお話しに見えます、一話の時点では。ヒロインの女の子と、その友達以外にも、幼馴染(男)父親、祖父、妹、商店街の人々が一話の時点からけっこう書き込まれています。なんというか、ちょっと昭和っぽいテイストを感じました。
で、思い出したエピソードは、「けいおん!」のときに、山田監督がけいおん部の部員達の家族を登場させて家族のつながりみたいなものを描写したいという希望があったのだけれど、原作者のかきふらい先生に、それは勘弁してくださいと言われたという話です。実際、アニメ本編ではけいおん部員の家族の存在をにおわせるような描写はちょくちょくでてきて、そういうところ描きたい欲求みたいなのは感じられるけども、具体的に家族がでてくるシーンはあまりというか、ほとんどないんですよね。映画版に唯の両親がかなりでてきてびっくりしたのを覚えてます。
僕が思うに、萌え四コマ的な視点からみると、ヒロイン達の家族を出したくないというのはわかる気がします。というのは、萌え志向が極まった作品ってある意味、ちっちゃな限定された嘘の世界を楽しむという感覚があるので、そこに家族関係みたいな生生しいものを持ち込んでしまうと、その萌え的世界が成立しなくなっちゃう恐れがあるということだと思うんですよ。で、それはある意味、欺瞞的といえばそうなんですけど、萌え作品ってそういう欺瞞的な部分も含めて楽しむものなんだろうと思うんですね。
ところが、けいおん!のスタッフ(なのか山田監督なのか)は、そういう欺瞞性(?)まで含めた萌え的感覚を理解してないのか、あるいわかっているけどすべてを受け入れるつもりはないのか、家族を出しましょうと言っちゃたんだろうと思うわけです。
そういう萌えイデオロギーとのずれみたいなのは、例えば原作とアニメでのムギちゃんの描写の微妙な違いなんかにも現れてるきがします。たぶん、意識的にやってるというよりは、まじめに原作テイストを生かそうとしてるんだけど、なんかちょっとズレちゃうということなんだと思うんですが、そういうズレてる部分がヒットの要因のひとつになったんじゃないかなあと妄想してます。で、今回の「たまこまーけっと」っていうのは、そういう山田監督の志向を全面に打ち出した作品っていう感じなんですかね。絵面は萌えアニメ最右翼っていう感じですが、おそらくヒロインのまわりの美少女以外の人々も書き込まれてゆく作品になるんだろうと思われます。
なんというか、個人的には美少女萌え作品というのは、進化が極まった末に袋小路の小枝に入り込んでしまったという感じがしないでもないので、それをもうちょっと太い幹に押し戻すような意味あいがある作品かもしれないと思いました。大げさです。
まあ、どういう風にアニメファンに受け取られるかとっても興味はありますね。