人間性を捧げよ

アニメ。今期は「はたらく魔王さま」と「革命機ヴァルヴレイヴ」と「刀語」をみてます。ヴァルブレイブはサンライズのロボットアニメ。刀語は再放送らしいですが初見です。魔王さまはなんとなく一話目みておもしろかったので、続けて見てます。ギャグの処理にセンスを感じました。


アニメといえば、しばらく前に細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」をレンタルDVDで観ました。おもしろかったです。

おおかみこどもの雨と雪 BD(本編1枚+特典ディスク1枚) [Blu-ray]

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時をかける少女」よりも「サマーウォーズ」よりこれが好きですかね。
人間と狼の中間の存在である狼こどもの姉弟、雪と雨。姉の雪は人間として生きていく道を選び、弟の雨は狼として生きていく道を選ぶ。
と、いう大筋なんですが、みてて思った野暮な感想。姉は人間として生きていけるだろうけど、弟が狼として生きていくのは無理だろうと思いました。まあ、フィクションに対して無理だろうとかいうのもなんなんですけど。
なんでかというと、狼形態に変形できるとはいえ、この姉弟(および父親)は本質的には人間ですよね。知性があるもん。ここでいう知性とは、現実を抽象してシンボルと結びつけ、そのシンボルを操作する能力です。この能力がやどった脳をもっている限り、弟は真に狼として生きていくことは無理なんではなかろうかと思うのです。山奥でサバイバル生活する人嫌いで動物好きなおっちゃんにしかなれないんじゃないかなあ。はい、まさに野暮なツッコミですね。
ただまあ、こういうストーリーが違和感なくうけいれられる背景には、人間的な知性(あるいは理性と言った方がいいかもしれない)をもった脳が動物の脳に対してアッパーコンパチであるという考えが暗黙のうちに根強くあるんじゃないかと思うんですね。つまり、知性があって良いことはあっても悪いことはないからいいじゃないか的な。
で、作品の感想とは少し離れていくんですが、それは違うんじゃないかなと。よく凶悪犯罪とか、あるいは戦争なんかでの残虐行為を評して、「人間の中に潜む獣性の発露」みたいな言い方するじゃないですか。そのつど、それって獣に失礼でしょっと思うんですよ。むしろその種の残虐行為こそが人間特有なもので、まさに「人間性の発露」なんじゃないのかなと。フロムソフトのゲームのやりすぎじゃないですよ?そしてその人間性の本質が知性/理性だと思うんですね。
例えば動物同士が縄張りがかち合うとか、生存に必要なリソースが競合した場合、戦って相手を排除しようとするだろうけど、その戦いはその場限りのものだと思うんですよ。なぜかというと、動物には抽象的な思考をする脳がないから。
一方、人間の場合なら、今は勝ったとしても、将来敵がまた来て、そのときは負けるかもしれないと考たりするわけです。将来の予想は抽象的なシンボルの操作によって可能になる人間特有の能力であって、そうなると、今は安全でも、将来的にはそれが脅かされるかもしれないので、将来に備えて何か手をうつべきだという発想がでてくるわけです。そしてまた、動物ならば敵は"今"目の前にいる"この固体"だけだけど、人間の場合は敵を抽象化、一般化するわけです。で、最終的に、われわれの将来にわたる安全を確保するためには敵種族をたたけるときにたたいて皆殺しにすべし、みたいな結論に至ることも可能なわけです。
この、”我々の将来にわたる安全”とか”敵種族”というものは、シンボルを操作できる脳の機能によって組み立てられた抽象的な概念なんだけども、それにすごくリアリティを感じるというか、抽象的なシンボルと現実とを混同するところがあるというか、むしろそういうシンボルよって構築された観念の世界こそが、人間にとっての現実なわけです。そういうわけで、人類は歴史がはじまって以来、お互いに殺しあってるのは、根本的には知性/理性=人間を人間たらしめてる能力の負の側面によるのではないかなと思うのです。
知性/理性によって人間は途方もないモノ、例えば科学技術なんかを得てきたわけですが、反面人類の歴史は悲劇惨劇の繰り返しなわけで、その原因も知性/理性だと思うんですよね。
つまり人間の知性/理性は祝福であると同時の呪いなのではないかと。だから、弟は狼としては生きていけないんじゃないかと思ったのでした。



p.s. チンパンジーなんかは若干抽象的な概念を理解するらしいという話を聞いたことがありますが、細かいことは知らん!

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